2017年10月18日水曜日

正岡子規『明治卅三年十月十五日記事』〔『ホトトギス』第四巻第二号 明治33年11月20日〕を読む(2) 「...発泡の跡、膿口など白く赤くして、すさまじさいはんやうもなく、二目とは見られぬ様に、顔色をかへて驚きしかば、妹は傍より、「かさね」のやうだ、とひやかし、...」

自宅近くの公園にて 2017-10-18
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今回は、思わず読み手である我々もうめき声を上げてしまうような「繃帯取換」の様子。
「二目とは見られぬ」「『かさね』のやう」な傷口の有様・・・。

 暫くして妹は箱の上に薬、膿盤(のうばん)などを載せ、張子の浅き籠に繃帯木綿、油紙、綿などを一しよに載せ持ち来る。母はガラス戸に窓掛を掩(おお)ひ、襖を尽(ことごと)くしめきりて去る。これより繃帯に取りかかるなり。余は右向きに臥し帯を解き繃帯の紐を解きて用意す。繃帯は背より腹に巻きたる者一つ、臀(しり)を掩(おお)ひて足に繋(つな)ぎたる者一つ、都合二つあり。妹は余の後にありて、先づ臀のを解き膿(うみ)を拭(ぬぐ)ふ。臀部(でんぶ)殊に痛み烈(はげ)しく、綿をもてやはらかに拭ふすら殆(ほとん)ど堪へ難し。もし少しにても強くあたる時は覚えず死声を出して叫ぶなり。次に背部の繃帯を解き膿を拭ふ。ここは平常は痛み少く、膿を拭はるるはむしろ善き心持なり。(左の横腹に手を触れ難き痛み所あり)膿の分量も平日に異ならずとぞ。されど平日の分量といふがどれほどの者か余は知らず。その外痛み所の模様など一切自分には分らぬなり。三年ほど前に、ある時余は鏡に写して背中の有様を窺(うかが)はんと思ひ妹にいふに妹頻(しき)りに止めて聴かず、余は強ひて鏡を持ち来らしめ写し見るに、発泡(はっぽう)の跡、膿口など白く赤くして、すさまじさいはんやうもなく、二目(ふため)とは見られぬ様に、顔色をかへて驚きしかば、妹は傍より、「かさね」のやうだ、とひやかし、余は痛くその無礼を怒りたる事あり。これに懲(こ)りてその後は鏡に照したる事もなけれど、三年の間には幾多の変遷を経たれば定めて荒れまさりたらんを、贔屓目(ひいきめ)は妙なものにて、今頃は奇麗(きれい)な背に奇麗な膿の流れ居るが如く思ふこそはかなき限りなれ。

「死声」をあげる痛み
介護される現場の写生文であり、読む者までがうめき声をあげたくなる痛覚の写生文でもある。述語は動詞の現在形の終止形を軸としながら、断定の助動詞「なり」が、要所に使われている。この文末の組み合わせによって、ほかならぬ「明治三十三年十月十五日」の一回的な出来事と、毎日の日課として繰り返し反復されているところの「繃帯取換」が、同時に読者に伝達されるような文章構造になっている。

妹の律が、「繃帯取換」の道具一式を持ってやって「来る」。
母がなぜか「窓掛」で「ガラス戸」を「掩ひ」、「襖」を全部「しめき」って「去る」。で、「これより繃帯に取りかゝるなり」。いよいよ「繃帯取換」が始まる。

「余」は、「右向き」に姿勢を変え「繃帯の紐を解」いて、「用意す」る。
「繃帯」は、背中から腹へと、臀から足への「二つ」ある。
ここで、なぜ母親が「ガラス戸に窓掛を掩」ったのかがわかる。繃帯をとれば臀部や性器がむき出しになるから、外から見えないようにするのだ。しかし、「襖」まで全部「しめき」る理由はわからない。

主語が「妹」に転換し、「余」は目的語にされ、「先づ臀」の繃帯から解かれ、「膿」が「拭」われていく。
「余」の「痛み」の強さが「堪へ難し」。
「死声を出して叫ぶなり」。
ここで、「襖」が「尽くしめき」られた理由がわかる。子規の「死声」が隣近所に聞こえないようにするための、母の配慮だった。

ここに至って、この「繃帯取換」がこの日だけの出来事ではなく、何度も反復されてきた、一連の手順で行われる「繃帯取換」の日々と年月の、母と妹による介護の持続が一気に表象される。
この文は仮定表現「若し」から始まっており、「少しにても強くあたる時」とそうではないときに、それまでの「繃帯取換」の日々を分けることになるからである。実際この日がどうだったのかは実は記されていないが、これまでの「繃帯取換」の日々における「少しにでも強くあたる時」の反復が、「死声」の反復ともなり、それゆえ母は「襖を尽くしめき」るようになったという、介護者と被介護者の、介護の日々の来歴が同時に表現されている。
つまり「死声を出して叫ぶなり」という、断定の助動詞で結ばれているこの文によって、被介護者としての子規の、介護者である妹律に「繃帯取換」をしてもらい続けた日々の記憶が、自らの永い病床生活全体として蘇ってきている。そうした被介護者としての子規の「痛み」と「死声」の記憶の、文字どおりの背後には、「繃帯」を「取換」続けてくれた介護者である、妹の律が常に存在し続けていたことも、読む者の胸に伝わってくる。

つぎに、「背部」の「繃帯取換」となる。
「痛み少く」で、読む者は少しそれまでの緊張を和らげ、「善き心持なり」でさらにほっとする。だが一本目の繃帯が「死声」をあげる「痛み」で、二本目が常に「善き心持」なのかというと、決してそうではない。
「左の横腹に手を触れ難き痛み所あり」とある。
二本目の繃帯は「背より腹に巻きたる者」なのだから、背は「善き心持」でも、背から腹へ移行する「横腹」には「痛み所」があるのだ。
したがって「善き心持」は、「繃帯取換」の間の一瞬に過ぎない。さらに「善き心持」になるのは「平常」の場合であって、なにか特別な場合にはここも痛むのである。痛みはないわけではなく、「少」ないだけなのだ。

背中の様子を鏡で見る
「膿の分量」が、「平日に異ならず」と判断しているのは、「とぞ」という文末詞から妹の律であることがわかる。介護者律の存在が前面に押し出された瞬間、被介護者子規からの、自分を介護し続けてきてくれた、妹律と母への感謝の気持ちすら、読者には伝わってくる。

ここまでの叙述は「明治三十三年十月十五日」の「繃帯取換」に限定されていたが、「平常」あるいは「平日」という語によって、病が悪化してから何年間も繰り返された、この日に至るまでの毎日の「繃帯取換」の記憶が呼び寄せられる。「繃帯取換」は「妹」律が担い続けてきた「毎日の仕事」なのである。

律は、「毎日」毎日、子規の「後に在りて」、「臀」から「背」「腹」と「膿を拭」い続けてきた。その「毎日」の介護の積み重ねがあるからこそ、今日の「膿の分量が「平日に異ならず」ということを、律は兄に伝えることが出来るのだ。先の引用に続けて、子規の「記事」は、過去の記憶に及んでいく。

「膿を拭ふ」のは妹の律で、子規は「膿を拭はるる」だけであり、しかも自分では見ることの出来ない「臀」や「背中」の「膿」であるのだから、「平日の分量」が「どれ程」なのか、「知らず」という状態に置かれているのは当然のことだ。「痛み所」も「臀」と「左の横腹」だから、やはり自分で確認することは出来ない。けれども「三年程前」に、子規は「鏡に写して背中の有様を窺」おうとしたことの記憶を蘇らせるの。
確かに一八九七(明治三〇)年九月二一日の日記(『病床手記』)に、「昨日医師ノ話ニ臀ノ下ノ痛ミノ処二ケ処イヨイヨ穴アキタリト二三日前ヨリ膿出初メタルナリ」という記述がある。「医師ノ話」を受けて、妹律に鏡を持ってこさせようとしたのだろう。

しかし、律はすでに「穴アキタリ」という「臀」の状態は、よく見知っていた。その悲惨な傷を見知っている律だからこそ、「頻りに止め」たのだ。それでも子規は律の言うことを聞かず、彼女に無理矢理「鏡を持ち来らしめ」て、「背中の有様」を「写し見」てしまうのである。その「いはんやうもなく、二目とは見られぬ様」に、子規自身が「顔色をかへて驚」いてしまう。
動揺を隠せない兄に、妹は、その「膿口」の「すさまじさ」を、「かさね」のようだと「ひやかし」た。兄は「無礼」であると「怒り」を爆発させたらしいが、その形容が「痛く」というあたりから、子規独特のユーモアに包まれていく。

この衝撃的な「三年程前」の「鏡に写」った「白く赤く」なっていた「膿口」の記憶を想起している三年後の現在の子規は、「三年の間」の「幾多の変遷」という形で、そのとき以来の闘病生活全体を振り返っていることになる。もちろん「幾多の変遷」とは、妹律に「毎日」「膿を拭」い続けてもらった被介護者の日々の記憶の想起でもある。
律という妹と、兄である自分とのやり取りを、『ホトトギス』の読者に伝えているということを考慮に入れると、文末が「こそ」「なれ」と係り結びになり、古雅な調子を出している表現法に気づく。
一気におよそ千年の「かさね」をめぐる文学的記憶が作動し始め、先に述べた子規独特のユーモアに読者ははたと出会うことになる。ここにも、大江氏が指摘していた「デモクラティツク」な表現の達成がある。

妹律が言った「かさね」のようだという一言は、明治三〇年代の読者にとっては、まず三遊亭円朝の怪談噺『真景累ヶ淵(かさねがふち)』の「累」を想起させるであろう。
下総国羽生村の百姓与右衛門の妻で、夫に鬼怒川で殺害され、彼女の怨念がずっと崇るという伝説が基になっていて、さらに一〇〇年ほどさかのぼると『伊達競阿国戯場(だてくらべおくにかぶき)』にもこの伝説が織り込まれている。醜さの象徴のような女性として「累」は位置づけられてきた。

しかし、こうした「かさね」の連想は江戸時代以後の集合的記憶であり、「重ね」あるいは「襲(かさね)」は、衣服を重ねて着ることを意味し、「下襲」の袷(あわせ)としての「かさね」であれば、束帯のとき、袍(ほう)や半臀(はんぴ)の下に着た衣で、背後の裾を長くして、袍の下に出して引いたまま歩いたりし、その地紋や色目は、職階や季節できまりがあったという、千年来の言葉の記憶が想起され、そこに至れば「奇麗な背に奇麗な膿の流れ居るが如く思ふ」という子規の連想に納得がいくのである。

その瞬間、「明治三十三年十月十五日」における兄子規が、「三年程前」の妹律の発した「かさね」という言葉に、三年前は「怒り」を発していたにもかかわらず、今は三年間の記憶と共に、「奇麗」なイメージへ転換させ、心身の緊張を解く機能を発揮しているという劇的な変化に読者は出会うのである。
そのような表現の構造において、兄は妹に感謝を捧げているとさえ思われる。

 膿を拭ひ終れば、油薬を塗り、脱脂綿を掩(おお)ひ、その上に油紙を掩ひ、またその上にただの綿を掩ひ、その上をまた清潔なる木綿の繃帯にて掩ひ、それにて事済むなり。この際浣腸(かんちょう)するを例とす。今日は浣腸せず。便通善し。毎日のこの日課に要する時間は凡(およ)そ四、五十分間なるべし。この頃の如く痛み少き時は繃帯取換は少しも苦にならずしてむしろ急がるるほどなり。そは、繃帯取換後は非常に愉快にして、時として一、二時間の安眠を得る事あるに因る。

「介護労働」の現実
ここまで読み進めて、読者は、先に読んだ「繃帯を解き」という、五文字で示されていた妹律の作業がどれだけ大変だったのかを、改めて再確認させられることになる。
まず「木綿の繃帯」を「解」く。ここでわざわざ「清潔なる」という形容を入れるのは、「解」くときの「木綿の鰯帯」が不潔になっていることとの対比を強調するためだ。
膿は「脱脂綿」や「油紙」さえからも「繃帯」に滲み出して来ているのだ。

「繃帯」を「解」いた後は、次の「綿」を取り、「油紙」をはずし、最後に傷口に直接あてられている「脱脂綿」を取り除くという四つの作業が、「繃帯を解き」という五文字の中に組み込まれていたことに読む者は改めて気づかされる。

傷口に直接あてられている「脱脂綿」を取り除く作業自体が「膿を拭ふ」ということだった、ということにも・・・。
そこまで気づいて、改めて、そのときの痛みはどれほどのものだったのかということに思いを馳せて、子規の痛覚へ読者は想像力をのばすことになる。

「繃帯を解き」という作業の内実、妹律の介護労働の現実と子規の痛みへの、改めての気づきを媒介にして自らの身体感覚を開かされた読者は、同時に「繃帯取換」に排便が連動していたことを知らされるのである。
いつも「平日」ならここで「浣腸する」のだが、「今日」は「便通」が「善」かったので、「浣腸」はしないで済んだのである。「繃帯取換」と「浣腸」(「便通」)が対になって「毎日」の「日課」となり、それを全てこなすには「四五十分間」かかるのである。


つづく



高知では自民党大物が苦戦 米軍ヘリ墜落で自民全敗も / ああ、希望は東京壊滅 小池側近の若狭氏まで落選? 刺客は返り討ち 自民党は新潟全敗の危機も 〈週刊朝日〉



安倍首相は秋葉原リベンジ演説へ 改憲大連立でオール保守「安倍翼賛会」誕生も! 〈週刊朝日10月27日号〉;「...希望の党から勝ち上がった保守系数十人と維新、無所属を合わせれば、350議席以上になる計算です。自公プラス維新、希望合体のオール保守が形成される。まるで戦前の大政翼賛会の復活ですよ」


 小池氏周辺は「改憲での連立は選択肢の一つではある」と言葉少なに語る。

「小池さんは選挙後、次の目を残すためには維新同様に与党の補完勢力になる道しか残っていない。そうなれば、改憲発議に必要な3分の2に手が届く。希望の党から勝ち上がった保守系数十人と維新、無所属を合わせれば、350議席以上になる計算です。自公プラス維新、希望合体のオール保守が形成される。まるで戦前の大政翼賛会の復活ですよ」(自民党幹部)

自民に大打撃 “魔の2回生”は立憲旋風で比例復活も赤信号(日刊ゲンダイ); 自民「魔の2回生」91人。立憲旋風で、比例復活も困難😀 百田尚樹の「沖縄2紙を潰せ」を擁護した白須賀貴樹(千葉13) 「テロ政党!」と志位氏をヤジった山田賢司(兵庫7) 中川郁子(北海道11)門博文(和歌山1)の路上キス組は落選必至



因果応報 → 【東京12区、北海道10区、大阪6区で大苦戦】「全勝神話」公明党に異変 選挙区に出馬している9人のうち、なんと3人が落選危機に直面している。もし、9人中3人が落選したら公明党に激震が走る 安倍自民に従属してきたツケが回っている(日刊ゲンダイ)







【比例は共産党】 で、結局期日前投票で比例区はどこにいれたんですか?と各方面から聞かれました。立憲民主党、共産党、社民党のどれにしようか迷いましたが、今回は立候補取り下げで野党共闘を成し遂げた共産党の「痩せ我慢」に一票を投じました。立憲民主党と社民党にはドネーションで協力します。(^_^;) — 内田樹











伊藤詩織『Black Box』。山口敬之元TBS記者にレイプされた女性の闘いの記録だ。...事件の詳細が明らかにされているのは「真実はここにある」からです。/ 山口敬之元TBS記者の所業のおぞましさ。公開された詳細なメールは「権力」そのものの居直りです。さらに警察、病院、ホットラインの無神経さにも唖然とさせられます。/ 「私は、被害者Aではない。伊藤詩織です」元TBS記者のレイプ疑惑を顔出しで公表した理由(ハフポスト) / レイプ被害者が実名で声をあげる理由を知っていますか(BuzzFeed) / 文春スクープ「韓国軍に慰安婦」記事に捏造疑惑 山口敬之のもう一つの“罪”(デイリー新潮)  


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安倍政権5年の激増ベスト3は富裕層資産・大企業役員報酬・自民党への献金、労働者には非正規化・賃下げ・貧困・過労死、自民党が選挙に勝って得するのは富裕層と大企業役員だけ(editor)




慰安婦報道訴訟 本社の勝訴確定(朝日新聞); 朝日新聞を相手とした「従軍慰安婦問題報道」訴訟 原告の数は,1審では2万5722人もいたのに、控訴審では56人にまで減少。上告審は0人に。

2017年10月17日火曜日

(YouTube)Les Mis "Do You Hear The People Sing" / Les Miserables 2012 Finale (last song)  映画『レミゼラブル』より『民衆の歌』


Les Mis "Do You Hear The People Sing"
視聴回数 15,011,245 回



Les Miserables 2012 Finale (last song)
視聴回数 4,460,832 回

正岡子規『明治卅三年十月十五日記事』〔『ホトトギス』第四巻第二号 明治33年11月20日〕を読む(1) 「御馳走(ごちそう)は、あたたかきやはらかき飯、堅魚(かつお)の刺肉(さしみ)、薩摩芋の味噌汁の三種なり。皆好物なるが上に配合殊(こと)に善ければうまき事おびただし。飯二碗半、汁二椀、刺肉喰ひ尽す。」

明治33年。
子規34歳。
その死の2年前。
『ホトトギス』で、「写実的の小品文」の一つの実践形態としての「日記」を募集し、それに応じて投稿された日記の手入れを行っているある一日の病床生活を、子規自身の「日記」として発表したのもの。

この年、漱石は熊本を引き払いロンドンに留学する。
7月23日と8月26日、漱石は子規を訪問するが、それが2人の最後の別れとなる。
明治35年、子規没を知らせる虚子からの手紙に応えて漱石は

.....小生出発の当時より生きて面会致す事は到底叶ひ申間敷と存候。是は双方とも同じ様な心持にて別れ候事故今更驚きは不致、...(明治35年12月1日付 漱石の手紙)

と書いている。

また、この年は、その2年前に『歌よみに与ふる書』で論争した伊藤左千夫が子規を訪れ、その弟子となる年でもある。長塚節もこの年、子規門下に入る。

『明治卅三年十月十五日記事』を読むにあたっては、
小森陽一『子規と漱石 友情が育んだ写実の近代』の伴走に依った(青字)。


 余が病体の衰へは一年一年とやうやうにはなはだしく此(この)頃は睡眠の時間と睡眠ならざる時間との区別さへ明瞭に判じ難きほどなり。睡(ねむり)さめて見れば眼明(あきら)かにして寝覚(ねざめ)の感じなく、眼を塞(ふさぎ)て静かに臥(ふ)せばうつらうつらとして妄想はそのままに夢となる。されば朝五時六時頃に眼さむるを常とすれど朝の疲労せる時間を起きて頭脳を使はんは少しにても静かにあらんに如(し)かずと、七時八時頃までうつらうつらとして夢と妄想の間に臥し居るなり。今朝眼さめたるは五時頃なるべし。四隣なほ静かに、母は今起き出でたるけはひなり。何となく頭なやましきに再び眠るべくもあらねば雨戸を明けしむ。母来りて南側のガラス障子の外にある雨戸をあけ窓掛を片寄す。外面は霧厚くこめて上野の山も夢の如く、まだほの暗きさまなり。庭先の鶏頭(*「奚+隹」、けいとう)葉鶏頭(*同じ、はげいとう)にさへ霧かかりて少し遠きは紅の薄く見えたる、珍しき大霧なり。余は西枕にて、ガラス戸にやや背を向けながら、今母が枕もとに置きし新聞を取りて臥しながら読む。朝眼さむるや否や一瞬時の猶予(ゆうよ)もなく新聞を取つて読むは毎朝の例なり。『日本』を取りて先づ一ページをざつと見流し直にひろげて二ページを読む。支那問題はいつ果つべくも見えず伊藤内閣も出来さうで出来ず埒(らち)のあかぬ事なり。五ページを見て三ページを見て四ペ一ジを見て復(また)一ページに返り論説雑録文苑などこまかく見る。かくする間に『時事新報』、『大坂毎日新聞』など来る。新聞を読む間、一時間半より二時間半に至る。その間寸時も休む事なし。終りてガラス戸の方を向くに霧漸(ようや)く薄らぎ、葉鶏頭(*同じ)の濡れたる梢(こずえ)に朝日の照る、うつくしく心地よし。

「五時頃」の「今朝」の「眼さめ」から始まって、時間を追って一日の出来事が記されていく。
「母」親が起きたようなので、「雨戸を明け」てもらう。「ガラス戸にやゝ背を向け」 で、秋の明け方の光をとり込みながら、「母が枕もとに置」いていってくれた新聞を読む。まず『日本』からはじめ、『時事新報』、『大阪毎日新聞』、そして『海南新聞』と、「一時間半」から「二時間半」をかけて読む。その頃には「朝日」が「照」り始めて、濡れた葉鶏頭が「うつくしく心地よし」という状態になる。

 いたく疲労を覚ゆるに再び眠りたく眼を塞ぎたるも例のうつらうつらとするばかりにて安眠を得ず。溲瓶(しびん)を呼ぶ。『海南新聞』来る。中に知人の消息はなきやとひろげて見る。妹に繃帯(ほうたい)取換を命ず。繃帯取換は毎日の仕事なり。未だ取りかからざる内に怪庵(かいあん)来る。枕元の襖(ふすま)をあけて敷居ごしに話す。余は右向きになり頭を擡(もた)げ右手の肱(ひじ)を蒲団の上につき居り。こは客に接する時、飯くふ時、筆を持つ時に取る所の態度なり。先日手紙にて頼み置きたる者出来居るか、と怪庵いふ。余、僕は字を書く事は誰にもことわつて居るのだからこの分だけ書く訳にゆかず、宜(よろ)しく先方へさういふてくれ、と頼む。怪庵、小ぎれに書きたる木堂(もくどう)の書を出して示す。それより書の話に移る。怪庵、僕は外に望はない、書ばかりは少し書いて見たい、といふ。僕も時々大きな字をなぐりつけたけれど筆がないので買ひにやると一六先生用筆といふ二十銭の筆を買ふて来た、書いて見ると一六先生に似たやうなよつぽど変な字が出来るので呆(あき)れてしまふた、と話して笑ふ。一六はいやだ、と怪庵口をとがらしていふ。きのふ蘇山人(そさんじん)に貰ひたる支那土産の小筆二本と香嚢(こうのう)とを出させて怪庵に示す。怪庵、筆にかぶせてある銅の筆套(ひっとう)を抜き、指の尖(さき)にて筆の穂をいぢりながら、善く書けさうだな、といふ。それより、能書不択筆(のうしょふでをえらばず)といふが昔の書家は多く筆を択びし事、不折が近来法帖(ほうじょう)気違となりし事、不折の鵞群帖の善き事、『ホトトギス』が発行期日をあやまる事、西洋の新聞雑誌が皆大金をかけて思ひきつた仕事をする事、雪嶺(せつれい)翁が校正の時に文章を非常に直すので活版屋が小言をいふ事、外に、嶺雲(れいうん)その他の消息など暫(しばら)く話して、怪庵は帰る。

 日光はガラス戸ごしに寐牀の際まで一間ほどさしこみて、午時は近づきたり。心地よくしかも疲れを覚ゆ。再び枕に臥して飯を待つ。朝餉(あさげ)くはぬ例なれば昼飯待たるるなり。やがて母は、歯磨粉、楊枝(ようじ)、温湯入れしコツプ、小きブリキの金盥(かなだらい)など持ち来りて枕元に置く。少しうがひして金盥に吐く。大きなブリキの金盥に温湯を入れ来る。これにてかたばかり顔を洗ふ。寐て居て顔は洗へぬものなり。

来客(怪庵)があり、応対しているうちに、陽の光は「ガラス戸ごしに寝床の際迄一間程さしこ」んできて、昼近くなっている。「心地よくしかも疲れを覚ゆ」とある。
朝食は食べないので、「昼飯待たるゝなり」と記している。やがて「母」が「ブリキの金盥」と洗面用具を持って来る。「これにてかたばかり顔を洗ふ。寝て居て顔は洗へぬものなり」。絶妙なユーモアに包んでいるが、寝たきりの病人の不自由さが、読む者に身体感覚的に伝達されていく。

 あるいは枕に就きあるいは頬杖つきて待つ。午(ひる)過ぐる頃やうやうに母、飯を運び来る。膳の代りにしたる長方形の木地の盆を蒲団の上に置く。御馳走(ごちそう)は、あたたかきやはらかき飯、堅魚(かつお)の刺肉(さしみ)、薩摩芋の味噌汁の三種なり。皆好物なるが上に配合殊(こと)に善ければうまき事おびただし。飯二碗半、汁二椀、刺肉喰ひ尽す。ブランデー一口を飲む。母は給仕しながら、そこに坐りて膠嚢(こうのう)にクレオソート液を入れ居り。食了(くいおわ)りて、クレオソート三嚢を呑む。漬物と茶は用ゐぬ例なり。自ら梨二個を剥(む)いで喰ふ。終に心(しん)を噛(か)み皮を吸ふ。

待ちに待った「御馳走」を「母」が「運び来る」。
この日のメニューは「あたゝかきやはらかき飯、堅魚の刺肉、薩摩芋の味噌汁の三種」である。「皆好物なるが上に配合殊に善ければうまき事おびたゞし」という一文からは、子規の味覚的な喜びと、空腹が一つひとつ満たされていく内臓感覚の充足が読者に伝わってくる。おどろくほどの子規の食欲が「飯二碗半、汁二椀、刺肉喰ひ尽す」という叙述にあらわれている。

 食後、硯箱、原稿紙、手入すべき投書など寝床近く寄せしめ置きたれど、喰ひ労れに労れたれば筆を取る元気もなくてまた枕に就く。

食べ終って「硯箱、原稿紙、手入すべき投書を枕元に運んでもらうのだが「喰ひ労れれに労れたれば筆を取る元気もなくて又枕に就く」からは、どれだけの勢いで食事をしたかということと、病人は食事をするだけで体力を消耗すること、そして仕事をしようと思ったものの、その体力が残っていなかったことに直面した落胆とが、短い表現ではあるが、正確に読者に伝えられている。

つづく



【衆院選終盤情勢】自民、沖縄全敗も 北海道でも劣勢 - 産経ニュース ; 産経新聞社とFNNの衆院選情勢調査によると、自民党は北海道の全12選挙区で優勢なのは5選挙区にとどまり、全4選挙区の沖縄県では全敗の危機に立たされている。 ← それでも合計で2/3議席とか300議席とか取るの? 

衆院選:介護経営実態調査、公表を自粛 厚労省「選挙に配慮」 事業者からの反発恐れ - 毎日新聞 ; 《社会保障費抑制の観点から介護報酬は厳しい改定になる見通しで、今回の調査結果は財務当局が報酬引き下げを主張する後押しになるデータも含まれる。引き下げ論が強まれば介護事業者らの反発も予想され、同省幹部は「選挙に影響を与えないため、公表を遅らせた」と明かす》





吉田照美氏「衆院選は安倍政権の5年を考え投票を」(日刊スポーツ);「5年間の安倍政治が、我々の市民生活に、何をしてくれたのか。自分の生活が、どれだけこの5年間で良くなったのかを考えてみればいいわけです。あまりないんだったら、政権を変えればいいんですよ。」 / 前川喜平さんインタビュー「衆院選は加計森友隠しの安倍政権に審判下すチャンス」 



2017年10月16日月曜日

(YouTube)Gidon Kremer - Bach, Chaconne


Gidon Kremer - Bach, Chaconne




北の丸公園は冷たい雨の中 2017-10-16 コムラサキ 中の池とススキ ホトトギス ユッカ蘭(竹橋畔)

10月16日(月)冷たい雨
秋雨前線が停滞中。最高気温は14℃あたり。
この時期に気温15℃を下回るのは約50年ぶり(46年ぶりだったか?)らしい。

北の丸公園もすっぽり冷たい雨の中。
さすがに人影はない。

帰りの電車の中で、ハナミズキの紅葉具合の確認を忘れてたのに気がついた。
ま、気がついたのだからボケたのではない、と思っておこう。





▼竹橋畔のユッカ蘭

【速報】加計学園獣医学部、23日にも認可 同日に孝太郎理事長が記者会見(田中龍作ジャーナル); 世論が安倍自民大勝に沸く翌日だ。国民が安倍政権を支持したのだから異論は言わせない、という官邸の高圧的な姿勢が はっきりと 表れている。 / 国民をここまで愚弄するようなやり方が許されて良いのか。 自民党を勝たせることは、こんな政治のやり方に信任を与えること。 誤りない選択を! — 海渡雄一




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「森友・加計」依然うやむや 語らぬ首相 批判の野党(東京新聞):「「選挙が終われば、終わるものだとは思っていない。求められれば、誠意を持って答えなければならない」としたが、自ら説明する姿勢はない。このため、演説中に聴衆から「森友・加計を説明しろ」とやじが飛ぶことも。」

2017年10月15日日曜日

(YouTube)Dvořák: Cello Concerto + 1 / Rostropovich Ozawa NHK Symphony Orchestra (1995 Movie Live) ; ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロストロポーヴィチ 小澤征爾 N響


Dvořák: Cello Concerto + 1
/ Rostropovich Ozawa NHK Symphony Orchestra (1995 Movie Live)

デフレかバブルか (翁邦雄『朝日新聞』2017衆院選2017-10-12);「2020年の東京五輪のあと必ず需要が落ちる。しかもそこまで景気はもたないでしょう。このままでは金融緩和の余地がない。緩和手段ののりしろをもっておくには、経済が好調のときに少しでも政策を正常化しておくべきです」


デフレかバブルか
元日本銀行金融研究所長翁邦雄
(『朝日新聞』2017-10-12)

物価至上主義の愚
市場ゆがめた日銀
旗降ろせぬ総裁

 統計上は企業業績も雇用も絶好調だ。それでも首相は「アベノミクスで脱デフレ」を唱えて選挙に臨み、日本銀行はバブル懸念も辞さず、危機対応のような超金融緩和に邁進する。心配すべきはデフレなのか、バブルなのか。くらしに直結しながら専門的でわかりにくいこの問題について、金融政策論の第一人者に聞いた。

 ー 安倍晋三首相は「アベノミクスを加速してデフレから脱却する」と選挙で訴えています。日本はいま本当に、物価が下がり続けるデフレですか。

 「デフレはあいまいな言葉ですが、ときほぐすと政府の公式見解のように統計的な物価下落だけを指すこともあれば、不況を示すこともある。物価の伸びはいまゼロを少し上回るくらい。統計的にはデフレではありませんが、この先マイナスになりかねない水準ではあります。かたや景気は実質成長率が堅実に伸び、完全雇用といえるほど人手不足です。政府は『デフレではないが、デフレを脱却したとは言えない』という、不思議な説明をしています」

 ー 雇用がいいなら、無理に物価を上げなくてもいいのでは。

 「7月発表の日銀の調査では、8割の人が物価上昇は『困ったこと』と答えています。当初、国民は政府の脱デフレのメッセージを、不況感を打破してくれる試みと受け止めたのでしょう。でも、安倍政権と黒田東彦日銀総裁は『デフレ=物価下落』ととらえ、物価が上がらないから景気がよくならないとの立場をとりました」

 「そこで出てきたのが、2%インフレ目標至上主義です。明らかにまちがいです。実際は物価が上がらなくても好況になるし、日銀さえ頑張れば物価が上がる、ということもありません」

 ー デフレ脱却という目標がまちがっていたということですか。

 「日本経済への悲観の源流は物価が上がらないという表面的なことより、未婚や少子化、高齢化といった構造問題です。安倍政権がここを意識して介護離職ゼロなどの目標を後から追加したのは良かった。でも海外投資家も、多くの人もアベノミクスと言われてまず浮かぶのは大胆な金融政策、異次元緩和でしょう。黒田総裁は本気で短期決戦に臨んだ。しかし日銀のインフレ目標は2年どころか4年半たっても達成できない。逆説的ですが、金融政策だけで機械的に目標を達成はできないと見事に証明してしまったのです」

     ■     ■

 ー なのになぜ、日銀はこの政策をずるずる続けるのですか。

 「黒田総裁が2%目標を最優先課題にしたので、いまさら旗を降ろせなくなったのでしょう。おかげでさまざまな副作用やリスクが生まれています。日銀が大量の国債を買い支えることで政府は財政規律を失い、マイナス金利政策は利ざやが稼げなくなった銀行経営を追い込んでいます。国債も株式も、いまや日銀の買い支えに頼る官製市場です。金融システムがかなり脆弱になってしまいました」

 「昨秋に日銀が政策の総括的検証をしたときが、軌道修正のチャンスでした。でも、そこでも政策は有効だったと強調した。日銀の情報発信はまるで、大本営発表のようになってしまいました」

 ー 日銀はどうすべきですか。

 「インフレ目標は中長期的な目安という原点に立ち返るべきです。中央銀行には物価安定だけでなく、金融システムを守るという重要な役割があります。インフレ目標の実現のためならどんな政策も辞さないという姿勢では金融は安定しません。それでは結局、物価安定も長続きしないでしょう」

 ー 異次元緩和は「リフレ論」つまり金融政策で人為的に物価を上げれば景気を良くできるという考えが根拠です。唱えたのは現日銀副総裁の岩田規久男氏でした。

 「1990年代初め、当時学者だった岩田さんは、日銀がマネタリーベース(日銀への預金や銀行券)さえ増やせば世の中に出回るお金全体が増え、必ず物価は上がる、という貨幣数量説を主張しました。当時日銀の調査課長だった私は、マネタリーベースを増やしても必ずしも世に出回るお金全体は増えない、と反論しました」

 ー 世に言う「翁・岩田論争」ですね。四半世紀たち、こんどは岩田さんが日銀入りして攻守が入れ替わりました。論争の決着は?

 「岩田さんはその後、説明ぶりを変えました。マネタリーベースが増えれば人々が予想する将来のインフレ率が高まり物価が上がるのだと。『信ずる者は救われる』という説です。しかし現実は予想インフレ率が下がり続け、この議論も誤りだとはっきりしました」

 ー 今年、東京・銀座の一等地の地価がバブル期を超えました。異次元緩和が土地や株などの資産バブルをあおっていませんか。

 「たしかに政策がバブルを促している面はあります。日銀は国債市場の異様に巨大な買い手だし、株式市場でも株価が下がると日銀が上場投資信託を大量に買い上げて株価を支えています。資産市場はかなりゆがんでいます」

 ー それでも多くの人はバブルとは思っていないのでは。

 「バブルは崩壊して初めてそれとわかるもの。バブルのさなかはむしろ快適です。大酒を飲んでいると気分がいいけれど、翌朝ひどく二日酔いになって初めて飲み過ぎを後悔する。あれと同じです」

 ー 酔い冷ましが必要ですか。

 「そうです。巨額のお金をつぎ込んだ市場から手を引く必要がある。でも、日銀といえども簡単ではありません。大量に買った株を日銀が売り始めたら株価は大きく下げて、大混乱になるでしょう」

     ■     ■

期待の暴走の先
円暴落の危険も
次の不況が心配

 ー バブルという言葉、翁さんが日本に紹介したそうですね。

 「80年代初め、米国留学で学んだバブル現象について私が本を書いたとき、日本ではまだほとんど知られていませんでした」

 ー 改めて、バブルとは?

 「期待の暴走です。土地や株、絵画などの資産が値上がりし、さらに上がるという期待に拍車がかかる状態が典型的バブルです。有名なのは17世紀のオランダのチューリップバブル。球根が家1軒分なみの値段となり、その後暴落してオランダ経済は大混乱でした。日本の80年代後半のバブルも株価と地価の急騰と暴落で、経済は長期的にダメージを受けました」

 ー 異次元緩和はバブルを膨らませるのに、黒田総裁は出口をはるか先と考えているようです。

 「バブルで資産価格がゆがむのも問題ですが、この状態で次に本当の不況が来るのが心配です。2020年の東京五輪のあと必ず需要が落ちる。しかもそこまで景気はもたないでしょう。このままでは金融緩和の余地がない。緩和手段ののりしろをもっておくには、経済が好調のときに少しでも政策を正常化しておくべきです」

 ー 正常化できなかったら?

 「極端な金融政策の果てに何が待っているのか、専門家でも十分にわかっていません。このまま日銀が国債を買い支え続ければ市場機能が死んでしまうので、国債暴落は起きないかもしれない。ただそのとき為替市場など他の市場がどうなるかが見通せません。私は最悪のケースでは、円が暴落するのではないかと心配です」

 ー 円高恐怖症の日本では円安はむしろ歓迎されてきました。

 「問題は相場が極端に動くときです。円が高ければ円を売ればいい。でも安くなったときドルを売って円を買い支えるのは難しい。政府の外貨準備は有限だからです。92年の英ポンド危機でも、英国は通貨防衛できませんでした。日本もひとごとではありません」

     ■     ■

 ー 今回の総選挙で異次元緩和について希望の党が当面維持と言い、立憲民主党は公約に掲げていません。消費増税は両党とも「当面凍結」。リスクに直面している危機感が野党にも見えません。

 「将来のリスクを考えると必要でも、不人気な政策は選挙のたびに後退しがちです。消費税も年金保険料改定方式のように小幅に毎年上げ続ける法律をつくることなどで、争点化を避けるべきです」

 ー デフレもバブルも困るけれど、どちらがまだましですか。

 「マイルドなデフレのほうがましでしょうねバブルを起こすほうがはるかに有害で失うものが大きい。日本経済を低成長に引きずりこんだのも、バブル崩壊による金融システムの不安定化でした」

 「米国では以前は大恐慌のトラウマがあってデフレ恐怖症が強かった。だから米中央銀行FBRのグリーンスパン元議長は、デフレ回避のためにバブル発生リスクもいとわなかった。その結果がリーマン・ショックです。バブル崩壊の影響を軽視してきた米欧の政策当局も、いまは金融危機の恐怖を切実に感じているはずです。日銀もそれを思い起こしてほしい」

 (聞き手・編集委員 原真人)

 

大阪府私学課に事実の問い合わせをした時のやりとりあり →  "維新松井の「幼稚園から高校まで教育費の実質無償化」は大ウソ!"

【希望・小池の言うことが信用できないワケ】 「希望」の内部留保課税。時系列でみるとわかりやすい。 10月6日・小池百合子「消費税に代わる財源として内部留保に課税する」  ↓ 7日・経団連の榊原会長「課税は認められない」  ↓ 13日・小池「課税にこだわらない」 1週間で撤回 ← 有権者をバカにしたらアカンよ!     

「安倍政権の野望」は是か否か、選挙の争点はそこだろう  国難、国難というけれど(辻野晃一郎); 安倍氏にしろ、自民党にしろ、加計氏にしろ、「驕れるものは久しからず」だ。自分たちの驕りによって日本の民主主義を著しく傷つけた代償は、いずれ必ず自分たちで払うことになるだろう。


「国難突破解散」に大義はあるのか

(略)

確かに、北朝鮮情勢は深刻だが、いまさら戦前戦中に好んで使われた「国難突破」などという言葉を弄して危機を煽ること自体がレトリックじみて胡散臭い。実態が「森友・加計学園問題隠蔽解散」に過ぎないことは多くの国民の目に明らかだ。

なるほど、第二次安倍政権が発足してから、表向きの経済指標は好転したかに見える。円安・株高によって企業収益は過去最高水準に達し、有効求人倍率も直近の値で1.5倍を超え、バブル期以来の高水準となった。

完全失業率も2%台の低水準を記録している。経済優先主義的観点からは、アベノミクスには一定の効果があったと評価するのがフェアかもしれない。安倍政権が高い支持率を維持し続けてきた最大の所以はまさにここにある。

しかし、これは日銀を抱き込んだ金融緩和政策が短期的に功を奏してきたからであって、必ずしも実体経済が上向いているわけではない。

日銀は、デフレ脱却を名目として国の借金である国債を大量に買い続け今やその保有残高は430兆円を超えている。さらには、ETF(上場投資信託)を通じて上場企業株も年間6兆円の規模で買い続け株高を演出している。

一方で、これだけの「異次元金融緩和」をやり続けても、黒田日銀総裁が目標としてきた物価上昇率2%の達成は既に6回も先送りされている。

アベノミクス効果の持続を演出するために、このまま出口の見えない金融緩和を続ければ、日銀が債務超過に陥ったり、国の財政破綻を招いたりするリスクが高まっていることは認識しておかねばならない。

安倍政権の正体

(略)

大勢の犠牲を伴ったあの決定的な歴史の変化点を受け入れず、「美しい日本の再建と誇りある国づくり」と称して、列強の一角をなした時代に巻き戻すようなことをやろうと画策している人たちだ。その人たちに支持されているのが現安倍政権なのだ。

「世界の真ん中で輝く国創り」というスローガンの裏には、たとえ米国への隷属性を高めようとも、再び強国として世界を睥睨したい、という国家主義的野望があることを見抜かねばならない。

もともと、特定秘密保護法や安全保障関連法や共謀罪はそのためのものであるし、核兵器禁止条約への不参加や、北朝鮮問題でのトランプ米大統領の好戦的な国連演説に迎合した安倍総理の演説などは、前述の解釈を裏付けている。

しかし、これらの政治的行為は、70年余にわたる平和国家としての努力を無にし、国家の恥を広く世界に晒したようなもので、多くの国民の意識とは乖離している。

経済人の立場から最も憂慮すべきは、安保関連法をなし崩し的に成立させた一連の動きの中で、「武器輸出三原則」を撤廃し、「防衛装備移転三原則」なるものに置き換えて、事実上、軍事技術や武器の輸出ビジネスを解禁したことである。

経団連をはじめとした経済団体は、もろ手を挙げてこの動きを歓迎し、防衛省が主導して武器技術の海外展示会などに多くの日本企業が出展するに至っている。

戦争で儲ける国にしないために

(略)

戦後復興をリードした経済人には、中山素平氏や井深大氏のような気骨のある平和主義者としての経済人がいくらでもいたが、今はどうだろう。

儲かれば軍備でも原発でも大歓迎、ただし自分自身に災いが降りかからなければ、というような節操のないスタンスの身勝手な経済人ばかりが増殖しているように感じる。東芝の凋落などはその帰結ともいえるものではないのか。

戦後、平和憲法の下、戦争放棄した我が国は、「軍産複合体」化した戦前の国家体質を反省し、少なくとも表向きには軍事と経済活動を相容れないものとして切り分けてきた。いわゆる「死の商人」ビジネスとは一線を画してきたのだ。

この立場は我が国の立場としてこれからも堅持していかねばならない最も重要なものの一つだ。しかし、一連の安保関連法成立の裏で、ついにその歯止めも取り払われてしまったことには、ここであらためて警鐘を鳴らしておきたい。

行政の信頼は取り戻せるのか

一強多弱が続いたがゆえの傲慢な政治は、この国のあるべき姿を強引に捻じ曲げて来たが、ついに森友・加計学園問題や稲田元防衛大臣の日報隠蔽問題などを引き起こした。

発覚した一連の不祥事を覆い隠すためだけに、閣僚や高級官僚たちが、あるものを無いと偽り、発言したことを記憶にないとしらを切り、公文書を破棄したと口裏を合わせた。挙句の果てには、国会で不誠実な対応を貫き通した財務省の官僚が国税庁長官に昇進した。

これらを、国を挙げての「モラルハザード」と言わず何と言うのか。

一時の内閣支持率急落の真因は、行政の信頼を著しく失墜させた安倍総理自身に多くの国民が不信感を抱いたことにある。

内閣改造で閣僚たちを取り換えようが、優勢が伝えられる解散総選挙で再び圧倒的多数を得ようが、安倍総理が自ら招いた政治の劣化という問題は決して一件落着とはならない。

森友・加計学園問題に、一点の曇りも行政の歪もなかったと強弁し続けるのであれば、なぜ、安倍昭恵夫人や加計幸太郎氏は表に出てこないのであろうか。

本当にやましいことがないのであれば、正々堂々と野党の証人喚問要請にでも参考人招致要請にでも応じて、経緯を国民に説明すればいいだけだ。「丁寧に説明する」と言いながら決してそうしないこと自体がこれらの問題の胡散臭さを決定づけている。

特に加計幸太郎なる人物は、仮にも教育者の端くれであるのならば、自らの教育理念と獣医学部新設にかけた情熱や計画を国民に直接訴えかける最大のチャンスではないか。

逃げ隠れしていること自体、友人であることをいいことに、時の権力者の威光を利用して利益誘導に走ったことを自ら認めていると解釈されても仕方がないだろう。

このような姿勢は、教育者としての資質に悖るだけでなく、軍需産業に加担した戦前の経済人をも彷彿させるものだ。

安倍氏にしろ、自民党にしろ、加計氏にしろ、「驕れるものは久しからず」だ。自分たちの驕りによって日本の民主主義を著しく傷つけた代償は、いずれ必ず自分たちで払うことになるだろう。それが世の習いだ。

国民は、今こそ、5年弱に渡る安倍政権の功罪を冷静に見極め、この国をこれ以上誤った方向に導かないための最良の選択をしなければならない。当たり前の道理をごまかし、国民を愚弄し続ける強引な官邸主導政治は異常だ。

やれ「希望の党」だの「立憲民主党」だのと、野党もドタバタ続きでまともな選択肢がないのは苦しいが、せめてこの選挙がきっかけとなって、自民党の内部からも驕りを捨てたさまざまな批判勢力が台頭し、一強の暴走が減速することを期待したい。



【加計隠し! 法律に則ってやってる!と自民・女性局長】 福山哲郎「森友加計・問題では、文書は捨てる!記憶は失くす!国会は開かない!」 自民・太田房江(女性局長)「あれは全部法律に則ってやってることですからね!」 / 共産・小池晃「忘れた、資料はない、怪文書だ、正確でない等々逃げまってきた。税金が安倍夫妻の友人に使われたのが、国民の疑問だ。選挙でうやむやにできない。明恵さん、加計氏、当事者を国会に呼ぶべきだ」     


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前の会社の同期会があった 2017-10-14

2017-10-11 自宅近くの公園
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10月14日(土)、冷たい雨
前の会社の同期会が保土ヶ谷であった。
元来、群れるのはあまり好きでないし、料理もお酒も美味しくなさそうなお店だったので、そんなに乗り気ではなかった。おまけに、仲良しのS氏が事情あって欠席するとの連絡あり、ますます行く気が減退していた。

しかし、まあ、行けば行ったでそれなりに和気あいあいと昔話に花が咲くもので、お酒もぐいぐいいってしまうものである。
いい加減なもんだな。

すぐに忘れそうなので、話題になったことなどをメモしておく。

まず、会の対象者は、同年度に同じ事業所に配属になった者で総勢は26名(以前の記憶では27名だったんだけど、その差異は不明)。
うち、
物故者が4名(うち2名が仲良しだったK氏とY氏)
連絡のつかない人が2名。

そういう前提で、昨日の出席者は13名。
うち、
フルタイム・現役で働いている人が3名(技術士コンサル、子会社勤務、介護NPO)
アパート経営1人
かなりの時間を菜園作業で過ごしている人が2名(1人は千葉の山中でかなり大規模の様子)

この年代の話題の定番
病気の話題では・・・。
ガン経験者が3人
交通事故後遺症が1人
あと、高血圧だのアルコールのドクターストップだのがパラパラと。
(欠席者の中に1人、長期療養中の人がいるとのこと)

もう一つの定番と思われる孫のハナシは・・・
これが意外と少ない。昨年同様、自分から言う人は1人だけ。
質問されて、子供はまだ独身で、とか、ようやく今年結婚した、というのが多かった(ように見受けた)。ウチと同レベル。

そんなこんなで、とりとめもなく、ガヤガヤでお開きとなった。

カメラを携帯していたが、写すタイミングがなかった。
(上の写真は、10/11、車のタイヤ交換をした際の待ち時間に近くの公園で撮ったダリヤ。インスタの材料かな)



「また誰かが餓死するまで…」 生活保護、切り下げ進む(朝日新聞); 国は2013年度からの3年間で、保護費の生活費部分(生活扶助)を段階的に引き下げた。一般の低所得世帯との均衡を図るなどとしている。戦後初の大幅な減額は、1人あたり平均6・5%。670億円規模に上る。


 給付水準の切り下げが進む生活保護。生存権の侵害を訴える受給者による訴訟が相次ぐ。一方で必要な人に保護が行き届かない現状もある。10年前、制度の運用のあり方が問われた北九州市では、適正な保護について選挙戦での議論を求める声があがる。

 生活保護基準改定は違憲・違法なものであり、原告らに憲法上保障された生存権を侵害するもの――。

 生活保護費の減額措置の取り消しを求め、受給者が各地で国を訴えた訴訟。原告は29都道府県の約900人に及ぶ。

 国は2013年度からの3年間で、保護費の生活費部分(生活扶助)を段階的に引き下げた。一般の低所得世帯との均衡を図るなどとしている。戦後初の大幅な減額は、1人あたり平均6・5%。670億円規模に上る。

 (略)



二階氏、ヤジ続ける聴衆に「黙っておれ」 街頭演説中(朝日新聞) / これ、ヤジなのか?  聴衆「消費税上げるなー!」「そうだそうだ」 / この人いつも記者やTVキャスターに対しても横柄な物言いしているが、今回は聴衆に「黙っておれ」と。自分をなにか「特権階級」と勘違いか。 ← 統治者だと思ってるに違いない