2017年8月2日水曜日

大正15年/昭和元年(1926)3月 広津和郎「さまよへる琉球人」 田中義一機密費横領事件問題化 小林多喜二らの同人誌『クラルテ』第5集(最終集) 3・18惨案 中山艦事件(蒋介石の反共クーデタ) 朴烈・金子文子死刑判決    

鎌倉 鶴岡八幡宮 平氏池
*
大正15年/昭和元年(1926)
3月
・広西省李宗仁・黄紹竑、国民政府へ服従表明。
広西軍は国民革命軍第7軍(軍長李宗仁)。黄紹竑は広西省政府主席。
*
・金日成(15)、小学校卒業。樺甸に開校の民族主義団体・正議府の学校・華成義塾入学。*
・郭沫若、上海より広東に赴き、広東大学文学院長となる。
7月、北伐開始とともに、総政治部秘書長として参加。
*
・金子光晴、2回目の上海訪問。妻森三千代と2ヶ月滞在。
*
・東條英機、陸軍省軍務局軍事課高級課員に転じる。宇垣軍縮(政治が軍令を従属させている現状)への強烈な不満。
*
・布施辰治、朝鮮全羅南道宮三面の耕地1700町歩の所有権確認訴訟準備のため渡朝。宮三面村長は明治43年に朝鮮王族が自分の所有地として東洋拓殖会社に売却した耕地を取り返す闘争を行っていた。
*
・宮沢賢治(29)、「寓話・猫の事務所」(尾形亀之助編集『月曜』)。花巻農学校依願退職。
*
・雑誌「経済往来」創刊。
*
・堀辰雄(22)「風景(初稿)」(「山繭」)。「佐藤春夫詩集」。徳田秋声「神経衰弱」。宇野浩二「恋敵」。
*
・葉山嘉樹(小説)「それや何ぞ」(「文藝戦線」)。
「鮮人労働者は、自ら意識しない、反抗心を根強く持ってゐた。彼等は、若し〔日本人労働者との〕喧嘩に負けたら、自分と同じ民族、同じ郷土が侮辱されると考へない訳には行かないのであった。それを軽侮することは、日本の労働者が、アメリカで、ブルヂヨア共に侮辱されることを、承認するのと同じことである」と、朝鮮人労働者の内面に理解を示す。
*
広津和郎「さまよへる琉球人」(「中央公論」)
沖縄青年同盟が、「県民大衆の誤解を受くる慮れある点」を持つと抗議。
作品中の箇所を具体的に挙げ、広津の描写では、沖縄県民が「道徳観念が違う人間だ、不信義漢だ、破廉恥も平気でやる、信用のおけないものだ、との印象を残さないでしょうか」と述べ、沖縄県出身の人物の造型と描写が、主人公を欺いて恥じない人物とされているとし抗議。また、タイトルへの疑問も出す。
広津は「沖縄青年同盟よりの抗議書」(「中央公論」5月)で、「取返しのつかない事をしたという苛立ちと苦痛」を表明し、「中途半端な、認識不足の厚意」が、ややもすると「有難迷惑にしかならない」と知らされたことを率直に記し、謝罪、作品の抹殺を宣言。
同盟のいうように、広津が「内地でも普通ザラにあるような一、二の人間の所業」を「さまよへる琉球人」とし、沖縄県民にまで拡大した事、差別的な文脈で用いられた「琉球人」という語を使用したことに問題があった。
広津は、この抗議を正面から受け止め、「所謂「内地」に於ける沖縄県人の差別的待遇は、日本国民の恥」と、沖縄の人々への差別を他人事とせず、自らそのさなかにいることを明示した。
*
・仏、最初の大きな民族団体「北アフリカの星」、パリで結成。セネガル出身のラミヌ・サンゴール、黒人防衛委員会(CDRN)を設立。
*
・イギリス炭鉱労組、炭鉱労働者の経済状況を調査したサムエル報告書の公表を拒否。
*
3月1日
・佐野学、第1次共産党事件による10ヶ月で入獄。~翌年1月1日。
「無産者新聞」主筆代理は市川正一が務めるが、市川に決まる前、佐野学は福本和夫に手紙で無産者新聞主筆になるよう要請(実現せず)。この時期、福本は運動に大きな影響を持つ。
*
3月2日
・この日付け小林多喜二の日記。
「T(田口タキ)が益々利口で、益々偉いということが分ってきた!」とある。
この年2月の瀧子宛ての手紙ににも書き文章がある。
「それから、もう一つ従って貰わなければならない事がある。それは、瀧ちゃんが、決して、今後絶対に自分をつまらないものだとか教育がないものだとか、と思って卑下しない事。瀧ちゃん位利口な人は僕は本当のところ知らない。女学校へ行ったとか、何んとか云って、馬鹿で、何んにも知っていない女が如何に多いことか、どこに、「自分のようなものなんか……」と云う必要がある。そんな事は絶対にないのだ。いいかい。」
*
3月4日
・田中義一機密費横領事件問題化。
憲政会中野正剛、衆議院で政友会総裁田中義一のシベリア出兵当時の機密費横領事件など追及。関係議員を査問に付する動議可決(小川平吉・小泉策太郎・秋田清・鳩山一郎の行動調査。田中は男爵貴族院議員のため)。
政友会、中野がソ連の手先(「露探」)と逆宣伝。<政友・憲政両党の対立激化>。

宇垣陸相は、中野の演説は陸軍攻撃という程ではないが、陸軍の面目と威信に関わるとして、翌日登院すると閣僚の前で、数十万軍人の先頭に立っている陸相として、憲政会全体が陸軍にどんな考え方をもっているのか、このさいとくに承知しておきたいと開き直る。若槻首相らはひたすら恐縮し陳謝する。

①松島遊郭事件(憲政党領袖箕浦勝人の収賄事件)・朴烈怪写真事件で憲政会・政府が攻撃される。
②石田基検事怪死事件(田中機密費告発担当)。
③三瓶・川上が右翼の攻撃に負けて告訴取り下げ。⇒箕浦無罪、田中義一機密費疑惑はうやむやに。
*
3月4日
・~17.独、社会民主党提案、旧王侯財産没収の「国民発議」の第1段階。賛成署名登録1250万人に達し法律案が国会提出。
*
3月5日
・中国で山西の閻錫山、呉佩孚と合作。馮玉祥の国民軍に対抗。
*
3月5日
・労働農民党結成。
日本労働組合評議会・無産青年同盟・大衆教育同盟(旧政治研究会)など左派を排除し労働農民党結成(委員長杉山元治郎、書記長三輪寿壮年、執行部は安部磯雄・西尾末広・賀川豊彦・麻生久・松岡駒吉・須永好・三宅正一)。大阪、左派の門戸開放要求巡り抗争表面化。
12月、右派は脱退、社会民衆党結成。同月、労働農民党委員長に大山郁夫。

農民労働党が禁止された後、総同盟主導の右翼社会民主主義政党として結成。綱領に日本の国情にあった社会改造を掲げ、共産主義的色彩をもつ者の入党拒否を組織の基本方針とする。10月の分裂後、門戸は開放され、共産党と左翼社会民主主義者との共同戦線党、合法無産政党となる。27年1月15日機関紙「労働農民新聞」創刊。日農・評議会を中心に党員は1万5千(27年10月31日現在)。無産政党の中では最も活動的。
*
3月5日
・元陸軍大臣官房付二等主計三瓶俊治、田中義一政友会総裁を陸相在職中の機密費横領で告発。12月27日証拠不十分で不起訴と決定。

陸軍大臣官房付二等主計三瓶俊治・遠藤豊三郎主計正(機密費の存在を知る)、石炭購入に係る収賄で逮捕。三瓶は別に中学同級生川上親孝に公債(機密費)を与える。
「恢弘会」小出秋作予備役大佐がこの川上を通じて三瓶から陸軍機密費の実態を調査
(「恢弘会」:陸軍主流派(田中派)に反対する退役将校団体。首領町田経宇大将・石光真清中将・立花小一郎大将)。
小出が三瓶に検事総長小山松吉宛告発状を書かせる。同じ覚え書きで、
①軍事機密費はシベリア出兵中のもの、
②出兵中に第14師団がロシアから分捕ったロシア軍金塊が行方不明、と書く。
陸軍機密費:私設金融機関(「紅葉屋」)に個人名義で預金、又は、無記名の公債で大臣官房主計局金庫に保管。大正7年770万円、8年1062万、9年280万、10年260万、11年35万の推移。機密費は主に出先の特務機関に支払われるもので援助は大正8年3月~9年1月(7年と10年の1千万円が使途不明)。

1月、政友会田中総裁に対し48万円支払い請求訴訟。政友会入りに先立ち田中から300万円調達依頼をうけ、神戸の金貸乾新兵衛から引き出すことに成功したという佐藤繁吉が、約束の報酬支払いを請求。

三瓶(さんべ)俊治が陸軍大臣官房付であった大正9年当時、官房主計金を入れる金庫に田中陸相・山梨次官・菅野尚一軍務局長・松本直亮高級副官の個人名義の預金証書があり、その総額は800万円を下らぬものであったが、逐次この預金は無記名公債に買い代えられる。しかもこれらの預金や公債は、全く個人所有のものとして取り扱われ、いかに処置されたかは不明。乾は担保なしに金を貸すような男ではないから、田中がこの公債を300万円の担保にしたと考えると、2つの話の辻褄が合う。

三瓶は政友会院外団や憲兵から逃れる為、信州湯田中温泉に一時身を隠す。反長閥の退役軍人団体恢弘会の小山秋作大佐が三瓶の身辺を保護。
告発をうけた東京地方検事局では石田基次席検事が主任検事となり、三瓶を取り調べる。
告発者三瓶は、主計在職中に無記名公債1万3千円を持ち出して罪に問われた事があり、この件も告発前に政友会に売り込む素振りを見せている。
告発2ヶ月後、三瓶は政友会院外団の津雲国利に引きとられ、「悪魔に魅入られ軍閥暗闘の傀儡になってしまった」との懺悔文を公表。しかし、これと前後して、今度は三瓶の友人の陸軍予備飛行中尉川上親孝が、田中・山梨に菅野・松本を加えた4将軍を告発。

10月30日朝、事件担当の石田基次席検事は大森~蒲田問の小川で変死体として発見される(前夜、日比谷の料亭の宴会に各検事局の検事正と共にに出席していたが、市ヶ谷の自宅とは方向違いの所で発見)。
石田検事は、田中政友会総裁の機密費問題のほか松島遊廓事件・朴烈事件を担当しており、これらの事件に絡む他殺ではないかと疑われるが、東京地検吉益俊次検事正は過失死と断定し、遺体を解剖もさせずに火葬にする。

機密費事件は、石田の死により不起訴に終る。
検事局内には、貴族院で田中を応援し、後に田中内閣の内相となる司法官僚の大御所、鈴木喜三郎の勢力が及んでおり、新聞記者などもこの事件の裏面に疑惑をもち、鈴木喜三郎の陰謀ではないかという噂が流れる。
松本清張「昭和史発掘」は、田中・久原と結んだ鈴木の陰謀とする。
*
3月5日
・小林多喜二らの同人誌『クラルテ』第5集(最終集)発行。
多喜二はこれを大熊信行に送る。拓銀の便箋を使った手紙。「色々な人達のものがゴッチャに載っています」と言う。大熊は多喜二の小説にいつも批評を送っていた。そこに載せた「師走」は「相当自信の持てるものです」と多喜二は書く。そして「此頃はドストエフスキーのものを読んでいます。……私の内心でとても要求しているもののあるのを知って、今年一年は徹底的にドストエフスキーのものばかりを読もうと思っています」と告げている。(未発表手紙。『全集』未収録。東京・多喜二ライブラリー所蔵。日付不明であるが、1926年3月であろう)

彼はその頃、ストリンドベリについで、一貫してドストエフスキーの作品を読んでいた。
「折々帳」には、前年25年暮れから約半年間に読んだ主なものに次の作品が記されている。
「虐げられし人々」 (感情の方から来た)
「クロイツェル・ソナタ」(理性と思想の方から圧迫的に!)二度目
「死の家の記録」(退屈だった。トルストイ、ロマンローランともにこれを称讃している)
「貧しき人々」(純情的、冗漫、空騒ぎのところあり)
「二重人格」(くどい、無興味、然し変に性格を描く力ありと、分る作)
「背徳者」(退屈なところあり、然し、超人に至るプロセスよし。埋智的)
「狭き門」(テーマがはっきりしている。退屈なところあり。六十点)
「田園交響楽」(物を見る眼が公平、いい態度、テーマには感心せず)二度
「現代人の悩み」(芸術を離れて、一番胸にこたえた作、思想的に自分を響かせた作)三度
「ビュ・ビュ・ドゥ・モンパルナッス」(あっさりした態度、純客観、ドスト氏との比較面白し。淫売婦の気持に対する新しい見方)
「カラマゾフの兄弟」(真の生活が描かれてはいない。然し単に、「人殺し」の生活ではないが、感心せず。アリョーシャ浅薄。その性格に裏打なし。イワンは割合によし、ドミトリ一番鮮明に出ている。父もよし)
「女中の子」 (芸術としてより、思想、少年、青年時代の思想が批判的に出ている。矢張りいゝ) 四度

25年4月、原稿帳をつくってから、彼は「姉との記憶」(6月9日)、「龍介の経験」(8月15日)、「曖昧屋」(11月19日)などを書いたが、くりかえし推敲をかさねながら、ノート稿のままにとどめ、26年1月に書いた「師走」をはじめて発表した。
「師走」には、父親の死後、離散する貧しい一家の母と子どもたちの救いようのないみじめな現実が描かれていた。通夜の晩、幼い子どもたちは方々へもらわれてちりぢりになっていく。残された長女のお恵も、結局は貧困のすえ、やがて売春婦になっていく。
*
3月6日
・北樺太の石油石炭採掘会社設立に関する件公布。10日施行。
*
3月6日
・山川菊栄「婦人労働者の問題」(「無産者新聞」第18号(1926年3月6日)~第22号(4月3日))、「支那最近の婦人運動」(同第53号(同年10月23日)掲載)。
*
3月6日
・ポーランド、映画監督アンジェイ・ワイダ、誕生。
*
3月6日
・フランス、ブリアン内閣、財政案否決により総辞職。
*
3月6日
・イギリス、シェークスピア記念劇場、焼失。
*
3月7日
・ジュネーブ、仏外相ブリアン・英外相チェンバレン・独首相ルター・外相シュトレーゼマン、連盟理事国増加問題で議論。
*
3月7日
・ニューヨーク・ロンドン間で初の大西洋横断無線電話開設。
*
3月8日
・中国で奉天軍と国民軍、大沽で開戦。
*
3月8日
・ジュネーブ、国際連盟特別総会。石井菊次郎(60)が議長に選出。独の他ポーランド、ブラジル、スペインが常任理事国要求
*
3月9日
・関東大震災で焼失した新橋駅の駅舎が復興、落成式。
*
3月10日
・川崎造船所、主力潜水艦伊1号(2135トン)竣工
*
3月10日
・山川均・西雅雄編「レーニン著作集」刊行(~1927.6.10、10巻、山川均訳「新経済政策」、青野季吉訳「何をすべきか」など)。
*
3月11日
・政友会牧野良三、政友会総務望月圭介提出「中野(正剛)自決の決議案」説明。
政府側は内務・法務・政務次官が否定答弁。
憲政会が牧野懲罰を出し、政友会がこれを妨害、議場混乱し、粕谷義三議長は本会議中止。
結果、中野査問委員会が設けられるが、何の証拠もでず「これを認定すべき証拠なし」との結論となる。但し、中野が第3インター党員との噂は残り、3・15事件では、秘密裏に中野の身辺捜査。

中野正剛露探説の陰謀:
北京で芳沢謙吉公使・ソ連カラハン間で日ソ基本条約が締結され、中野は極東ロシアに出かける(ハバロフスク~ハルピン~包頭、3ヶ月)。
久保田正吉(シベリア監獄に2年間収監されていた)に「赤露2年の獄中生活」を書かせ、中野は第3インターのスパイ、中野と三宅雪嶺はアントノフ(ソ連政府代表として対日)より10万円貰い日本の内情を通信しているとの話を、獄中のロシア人から聞いたと書かせる。又、右翼団体は中野攻撃パンフを発行。
*
3月11日
・ソ連「イズベスチア」紙、独各政党領袖とのインタヴュー掲載。人民党国会議員団長ショルツ博士も独・ソ条約賛成記事
*
3月11日
・アイルランドのデ・バレラ、シン・フェイン党党首を辞任。
*
3月12日
・馮玉祥軍、日本駆逐艦に発砲。
16日、列国抗議で武装解除。
*
3月12日
・日本海軍、大沽砲撃。奉天派の天津進攻を援助。
*
3月12日
・鈴木庫三、3月、この年創設された陸軍自動車学校(41年機甲整備学校に改称)へ異動。この日、陸軍自動車学校練習隊付兼同校教官となる。
*
3月12日
・デンマーク議会、軍備をほぼ全廃する法案を可決。
*
3月13日
・池貝鉄工所、新型工作機械の「縮写削成機」の特許を取得。
*
3月13日
・英、飛行家アラン・コブハム、約3ヵ月をかけてロンドン~ケープタウン間の初の往復飛行成功。10月1日 豪への初の往復飛行達成。飛行距離は4万5千km。
*
3月中旬
・荒畑寒村、禁固10ヶ月で下獄。佐野学・渡辺政之輔も入獄し、前年8月ビューロー会議で決定した「コミュニスト・グループ」中央委員は北浦だけとなる。これに伴い、市川正一が委員長となり、無産者新聞主筆を兼ねる。
また、5月末頃、新中央委員として河田賢治、中尾勝男、佐野文夫、6月に松尾直義、中村義明が加わる。更に、6月に杉浦、7月に野坂と6月に帰国したばかりの徳田、8月に市川正一が相ついで入獄し、このため26年6月からは市川に代って佐野文夫が委員長に就任。

「十五年の三月五日、第二次無産政党の労働農民党が大阪に結党式をあげた数日後、私は禁錮十月の刑に服して下獄した。これに先だつ数月間、私の不在中の妻の生活費をつくるために無産者新聞社出版の小冊子「労働組合読本」を著作し、無産社出版の社会主義童話「なぜなの」を翻訳し、また「文藝春秋」に買ってもらう数篇の随筆を起草したが、強いコーヒーのカをかりて徹夜をつづけたので、下獄後に不眠症め再発や苦しまなければならなかった。入獄の前夜、私たち夫婦は堺先生夫妻に伴なわれて銀座で天ぷらのご馳走になり、それから歌舞伎座の立見に入って鴈治郎、魁車、福助、幸四郎らの「お千代半兵衛」の吉田村を見物した。初め、私は中野の豊多摩刑務所に送られて約二ヵ月を過した後、巣鴨刑務所に移された。さらに二ヵ月余りを経て堺先生が入って来て、私から三、四軒さきの監房の住人となった。」(荒畑寒村)
*
3月16日
・北京列国公使団、辛丑和約違反を理由に太沽・天津間の戦闘停止要求の最後通諜を発する。17日 中国側受諾。これにより3・18事件勃発。
*
3月16日
・元陸軍大臣官房付二等主計三瓶俊治、東京検事局に出頭。
16~18日石田基主任検事の取調べ。この間、川上親孝が続いて田中・山梨を告訴。検察も受理し、石田主任検事のもとに中島石雄・大河原重信の2検事を派遣。
*
3月16日
・ジュネーブ、仏ブリアン外相、ロカルノ条約諸国を招集。独の連盟加盟問題を9月総会迄延期する決議、紛糾によりロカルノ条約そのものが反故になる辞退を避けるため
*
3月16日
・米、クラーク大学物理学教授ロバート・ゴダード(44)、世界初の液体燃料ロケットの打ち上げ成功。
*
3月17日
・日本レイヨン、設立。
*
3月17日
・連盟総会、ブリアンの動議で独加盟問題を9月総会で議論すること可決
*
3月18日
・3・18(惨案)事件。
パリ・コミューン55周年。北京の学生総会・総工会・国民党支部など、天安門で国民大会開催。対日屈従外交抗議デモに段祺瑞政府発砲。死者47人、負傷者155人。
*
3月20日
・中山艦事件(蒋介石の反共クーデタ)。
海軍局長代理李之龍(共産党員)が中山艦により軍事陰謀企図との理由。戒厳令で広州封鎖。中山艦艦長李之竜、国民革命軍第1軍政治部主任周恩来ら軍隊内の共産党員を逮捕。共産党員の活動を制限。
*
3月20日
・朴烈・金子文子死刑判決。
4月5日、無期減刑。
7月23日、金子文子、宇都宮刑務所栃木女囚支所で自殺。
7月29日、怪写真事件。
*
3月20日
・大阪、「電気博」開催。
*
3月21日
・坪内逍遥作、「役の行者」初演(~4.11 東京の築地小劇場最初の創作劇)。
*
3月22日
・国民政府中央政治委員会汪精衛辞任。
5月、病気療養として渡仏
*
3月22日
・独、国会、ドイツ国家人民党、連盟加盟申請撤回要求。政府不信任案否決、賛成141・反対200。
*
3月23日
・馮玉祥、モスクワに赴く。
*
3月24日
・警視庁、東京府内での女相撲の興業を禁止。
*
3月26日
・二階堂トクヨの体操塾、日本女子体育専門学校として認可。後、日本女子体育体育大学。
*
3月27日
・島木赤彦(49)、没。
*
3月28日
・日本農民組合、分裂。
*
3月29日
・中国、西山会議派、第2次全国代表大会を招集(上海)。
*
3月29日
・震災手形の割引期間が更に1年間延長と決定。
*
3月30日
・日本興業銀行・台湾銀行・朝鮮銀行の対中借款関係債務の整理に関する法律公布。1億4,400万円を限度に交付公債(焦げ付き債務を政府が補償するための公債)発行。(「西原借款」の後始末)。
*
3月30日
・郵便年金法、公布。
*
3月31日
・三菱造船長崎造船所、重巡洋艦「古鷹」竣工。
*
3月31日
・英、製鉄業奨励法改正公布。インド銑鉄輸入防止策として、製鋼用銑鉄に奨励金を交付。銑鋼一貫メーカーの助成措置を強化。4月10日、施行。
*
*
*


0 件のコメント: